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思いはいつも母国と共に

Letter from SWRT
9 December 2006


SUBARUワールドラリーチーム(SWRT)のコ・ドライバー、フィル・ミルズは、自分の国籍に深い誇りを持っている。彼のヘルメットには有名なウェールズの赤い龍が彩られ、ドライビングスーツに刺繍されている国旗は、英国のユニオンフラッグではなくウェールズの王旗だ。英国ウェールズ中部・トレフェグルウィース生まれのミルズは、今でもカンブリアン山脈の裾野にあるニュータウン近郊に在住している。


ミルズの興味がラリーに注がれたのは、ウェールズ人として当然のことだった。彼は言う。「僕はラリー王国の真ん中に住んでいて、週末になるたびにイベントが開催されていた。ロードラリーなりステージイベントなり、とにかく何かしらの競技が行われていた。あるステージなど、自宅の門の前がスタートだったくらいだ。僕はこのスポーツの虜になった。
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自分の家の前をマシンが200台も走り抜けて行くのだから、これにハマらない方が無理な話だ」

ミルズは自分自身でもラリーに参戦しようと決めたが、血縁者にラリー経験者はなく、彼のラリーキャリアは一から自分でドライブすることから始めなくてはならなかった。彼はなけなしの金を集めて、ロードラリーへの参戦費用を作った。ロードラリーとは、2カ所のポイントが指示された地図を基にコ・ドライバーがドライバーをガイドし、出来る限り早い時間で到着するという競技だ。

「ロードラリーでは、地形図からの情報だけが頼りなんだ」とミルズは解説する。「ペースノートはなく、場所によっては地図読みがとてもトリッキー。地図に道がなかったり、いくつも道があったりとね」

これが、ミルズが地図の虫となった始まり。「分かってる、そりゃないだろうってね。でも、僕は地図を愛しているんだ。昔は地図と言えば手書きだった。衛星写真から地図を起こすようになったのは、ほんのここ5年の話。僕はとにかく、白い紙を地図に仕上げることができるかと思うだけで幸せだった」

ラリーキャリアとして成功に恵まれることがなかったとしたら、ミルズはプロの地図作製者への道を進んだだろう。彼にも我々にとってもラッキーなことに、ラリーでの成功はすぐに訪れた。ミルズは、レギュラーでのロードラリー参戦を始めた。この世界に飛び込んでわずか1シーズン後、ミルズはウェールズ・ロードラリー選手権で初めてのクラスタイトルを獲得したのだ。彼は1980年代、クラブレベルで経験を積み続け、ドライバーからのオファーは増え続けた。1988年から1990年の間にミルズは88のラリーに参戦。この2年間を思い出すとミルズは笑い出す。「地元のモータークラブの友人に連絡を取り、コ・ドライバーはいらないかと尋ねたものだ。ラリーのエントリーリストを眺めて、コ・ドライバー未定でエントリーしているドライバーを探し出しては電話をかけて、コ・ドライバーを名乗り出たこともあった。とにかく情報を集め、コ・ドライバーのポジションを探し続けた。とにかく出来る限り多くの経験が必要ではあったが、2年間で88戦は多いね・・・この年は、寝る間もないくらいだったよ!」

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実際、当時22歳のミルズの睡眠時間は非常に少なかった。ラリー参戦の資金を作るため、ミルズはフルタイムでガレージでも働いていたのだ。稼いだお金はすべてラリーに注いだ。ミルズは振り返る。「ワークショップのメカニックとしてディーラーで働いていたんだ。とにかく資金がなかったから、それしか出来ることがなかった。正社員職を維持しなくてはならなかったが、夜のラリーのための山のような仕事を早朝や夜遅くにこなして、それから翌朝7時には仕事に出かけていたから、とてもハードな時期だった」

地獄的なスケジュールで疲労困憊のミルズだったが、これもキャリアの中で次のステップへ上るための準備だった。1990年代の始め、ミルズはロードラリーから国内戦のステージラリーへと昇格し、さらにスキルを磨く意欲が湧いた。ミルズは、地図を使う代わりに、ペースノートの作り方と読み方を覚えなくてはならなくなった。「”ビギナーラリー”にいくつか参戦して、そこで経験を積んだんだ」とミルズは言う。「ウェールズでは、エッペンの軍事施設で、イベント前の週末に何度でも好きなだけレッキができるラリーがあるんだ。僕は満足なノートが出来るまで、何度も何度も繰り返し走行した。自分のペースノートをパーフェクトなものにするためには、最高の機会だったよ」

この時期、ミルズはドライビングにも挑戦した。「大学にいる時、2年間ラリーをした。どちらの方へ進むかを決断させてくれたので、良かったと思っている。おかげで正しい選択ができたから、迷いは吹っ切れてコ・ドライビングに集中できたんだ」
ミルズは、1990年の英国ラリー選手権グループNで、英国の成長株・グラハム・ミッドルトンと共に英国でのブレイクを果たした。この年のハイライトは、ウェールズ・ラリーで果たした総合3位。このコンビはその後3年間続いたが、ミルズのキャリアはここで別方向へ転ずる。マルコム・ウィルソン・モータースポーツ、現在のMスポーツ(フォードのWRC活動を運営)で、コーディネーターの仕事を始めたのだ。ここでは、チームのために遠征における旅程や宿泊をコーディネートする他、イベントでのムーブメントを取り仕切っていた。まさに、SWRTでケン・リースが担当しているようなポジションだ。

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しかし、参戦への意欲も残っていたミルズは、様々な選手権で何人かのドライバーのためにコ・ドライビングも続けていた。この間、ミルズは、初めて他の大陸での参戦も果たす。モハメッド・ビン・スレイヤムのコ・ドライバーとして、中東ラリー選手権に参戦したのだ。1994年のラリー・オブ・ヨルダンでビン・スレイヤムと獲得した勝利が、ミルズの初めての国際イベントでの勝利だった。

5年後、Mスポーツはミルズのキャリアに最高の機会を与えた。ウィルソンは、若くて弾けるような、新人のノルウェー人ドライバーと、WRCスポット参戦の契約を結んだばかりだった。このドライバーは熱心で成功に対して貪欲であったが、彼にはコ・ドライバーがいなかった。ウィルソンはミルズに、ペター・ソルベルグのデビュー戦に乗り込む機会を与えたのだ。

「Mスポーツからこのシートをオファーはされたが、それを受け入れるかどうかは自分の決断だった」とミルズは言う。「とにかくマーク・ヒギンズと英国ラリー選手権で勝ちたかったしそれに参戦してタイトルを防衛する契約を結んでいたのだが、既に選手権は勝ってしまっていたから、もう得ようとするものはなかった。僕はWRCに上がっていきたかったので、ペターとの参戦はいい選択だと思えた。彼の契約は6戦だったから、チームでの通常業務を続けるにも理想的だった。最終的には、とても簡単な決断だった。ペターは文句なしにとても速かったし情熱に燃えていて、それが、彼について僕が好きなところなのだけど。彼は、勝つという自分のゴールを持っていた。それは僕も目指していたことだったから、僕たちはすぐに打ち解けた」

もちろん国籍や言葉の壁はあったが、2人はいい友人となった。「ユーモアのセンスも似ているんだ」とミルズ。「マシンの中で長い時間一緒に過ごしていたら、いい友人にならないわけにはいかないよ」

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成功のためにはミルズの豊富な知識で押し上げることが不可欠であったことは明白だったが、経験の浅いノルウェー人ドライバーとの最初の2年間、コンビは素晴らしいリザルトを連発した。「僕はペターよりも少し年上なんだ」とミルズはコメント。「それで、僕の経験を彼にも生かすことができた。僕はペースノートラリーの参戦が豊富だったが、彼はあまり経験がなかった。だから、いい関係だったよ」

2000年8月、2人がフォードを離れ、SUBARUワールドラリーチームに加入することが発表された。彼らはすぐに見事な速さを発揮したが、手堅いリザルトはすぐには獲得できなかった。翌年、2人は完全攻略の末にギリシャで2位を獲得し一躍注目を浴びるようになると、2002年には、ポディウムフィニッシュを5回達成した。そのうちの1回は、ウェールズでのセンセーショナルなWRC初勝利だ。「母国には恩返ししたい気持ちでいっぱいだったんだ!この初勝利は、とにかく最高だったよ」

彼らのこの勢いは、これまでのラリー参戦の中でも最も成功した年となった2003シーズンも続き、シーズン4勝、ステージウィン48回、ポディウムフィニッシュ7回を達成した。そして感動のフィナーレを迎えた最終戦、2人はウェールズ・ラリー・GB2連覇を達成し、2003年WRCのドライバーズ、コ・ドライバーズタイトルを決めたのだった。

ミルズは語る。あの成功でこのイベントは忘れられない思い出となったが、より特別なものとさせているのは、その雰囲気なのだと。「このラリーは、僕にとって本当にノスタルジックなもの。リザルトももちろんだが、シリーズのどのイベントとも違う、言葉にはできないような違う思いがあるからね。ウールでできた帽子を被ったスペクテイターが集まっていて、特にいつもの開催時期に戻った今年は、暗くて寒くて。かかとまで氷や泥にまみれることもあるけど、この雰囲気は本当にスペシャル。このイベントには、良い思い出がたくさんあるんだ」


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