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リチャード・バーンス逝去にあたり
SUBARUワールドラリーチーム(SWRT)メンバーが同志を偲ぶ
Letter from SWRT
2 December 2005
リチャード・バーンス(1971 - 2005)
2001年FIA 世界ラリー選手権チャンピオン
生涯WRC勝利数:10
「
本当に最高の気分だよ!プレッシャーは相当のものだったけど、それを乗り越えてのタイトルは感慨深いね。本当に何と言っていいかわからない。素晴らしいチーム力で、本当にたくさんの人たちがタイトルを目指して懸命な作業に取り組んできた。それが今、報われたんだ!
」
2001年世界タイトル獲得時のコメント
グループN組立・開発マネージャー、アラン・マクギネス
「私がリチャードと最初に仕事をしたのは、彼がWRCイベントで我々のサポート車両をドライブした時のこと。その後、彼はチームに残り、SUBARUレガシィで英国ラリー選手権に参戦した。それから私はマン・ツー・マンでWRCイベントのプリペアやレッキの計画に当たった。いつでも思い出すのは、彼が最初から最後までパーフェクトを追求する人間だったということ。全てをできる限り最良のものとなったと納得するまでは、とにかくハードワークも惜しまなかった。食べるものからトレーニング、レッキでのドライビング、彼は何についても持っている能力のベストを尽くして取り組んだ。リチャードにとって、一番簡単な選択は、ベストの選択肢には成り得なかった。実際、彼の辞書には、イージーという言葉はなかったと思うよ!……彼はいつも、パフォーマンスを一番向上させると実感できる方法を選んだ。このことは、チームにも大きな変化を与えた。彼のドライビングに対する気力はすさまじく、常に厳しかった。(レッキ中の車両で飲む水についてさえもこだわったのだ!)しかし、チームはその重要性を理解していた。ひたむきに専念し、取り組み、詳細にまでこだわることこそが、最終的に世界クラスのドライバーとなることにつながった。彼とロバート(・レイド)は、この世界でもっともひたむきに取り組むクルーだった。彼がいつかチームに戻ってくるものといつも思っていたが、悲しいことにそれは叶わなかった」
SWRTテクニカル・ディレクター、デビッド・ラップワース
「私が初めてリチャードに会ったのは、まだ10代の時のこと。1990年のRACラリーだった。典型的な10代の熱心な少年で、やせっぽちだった。正直、もっと体重を増やせと言ったドライバーは後にも先にも彼しかいない!ドライバーとしてのリチャードは、とにかく計算高かった。ちゃんと余力を見極めておいて、アタックするとなればそれはアグレッシブに攻めた。2001年のポルトガルが、そのいい例だ。新型マシンを与えられた彼は、3つのトラブルで2分から3分のタイムロスを喫したが、その3分を取り戻し全開で攻めて優勝してしまった。1999年のアルゼンチンでもロードセクションでセミオートマチックギアボックスのトラブルに見舞われ、SSスタートにもあわや間に合わないというくらいだった。それでもポイントを獲得しなくてはならなかった彼は、戦略も狂ってしまっていたため、その怒りを速さに変えて信じられないくらいのタイムをマークした。彼は私が知る中でも間違いなく、最も聡明で戦略的なドライバーの1人だが、それほどマシンに興味を持っているドライバーとしては珍しく、エンジニアリング面には決して関わろうとはしなかった。トラブルは我々に話し、解析と解決は我々に任せてくれた。この世界は誰もがお互い知り合いで、プロフェッショナルとプライベートのリチャードは別人だった。ドライバーとしては厳しかったが、現場を離れればマシンについてはあまり語らないようにしていた。彼は懐が広くしかしひとたび決めたらやりぬく人間だった」
Richard kissing the bonnet of his Impreza WRC2001
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テストチームマネージャー、トム・ハント
「私は90年代序盤、リチャードがジュニアワールド選手権のドライバーとしてテストを受けチームに入った時に一緒に仕事をした。当時彼は同時にSUBARUレガシィで英国ラリー選手権にも参戦していた。真摯(しんし)に取り組んだ彼はどんどんと成長し、世界チャンピオンとなった時、本当にプロフェッショナルなドライバーとなった。まだ若くとも、リチャードは自分の仕事をしっかりと見定めて、世界チャンピオンになると固く決意をしていた。ロバートと組んだ時にはすぐに意気投合して、これほどうまく相手は他に想像できないというくらい、最高のコンビネーションを築いた。どのドライバーも閉口するくらい、いつも一緒に最高の仕事をしていた。彼は最後の最後まで、プロフェッショナルだった」
テクニカルアカウントマネージャー、サイモン・スティール
「私が初めてリチャードと仕事をしたのは、まだ10代の時に英国ラリー選手権に参戦していた頃のことだった。私はチーフメカニックだったが、サービスや運営マネジメントも担当していて、チーム監督のようなものだった。アジア−パシフィック・ラリー選手権(APRC)でも同じ役目を担い、WRCでも同様だった。この間に我々は一緒に歩み、一緒に成長した。彼は私が知る中でも最も聡明なドライバーの1人で、いつも考えたり没頭したりしていた。専念しなければ世界チャンピオンにはなることはできないが、しかし彼はそれが自分も含めたチームワークとして取り組み努力することであることも忘れなかった。本当にチームワークのできる人間だった」
モータースポーツプランニング・購買マネージャー、ナイジェル・リドル
「私は、90年代序盤にリチャードが英国ラリー選手権に参戦する際にチームを運営していた。彼はまだ18歳か19歳だったが、彼の打ち込みぶりと意志の固さは既に明白だった。英国選手権に参戦する週末もあれば、経験を積むためにはWRCイベントではバンやチェイスカーのドライブでも、何でも手伝った。リチャードがやることはいつも同じ。仕事のことを考えて、最善の戦略を立て、プランを立てる時にはそれに没頭した。それに、リチャードは自分が望むものも、どうやって手に入れるかをもよく分かっていた。彼とロバートは、いつでも歩調を合わせて共に歩んでいた。どんな時にでもうまく気持ちを切り替ることができたことが、彼がサファリ・ラリーで強かった秘訣だろう。彼は非常に頭のいいドライバーで、常に冷静で、いつもチームのためを考えていた。彼は常にメカニック思いやり、だからこそ彼がチームを離れてからもたくさんのメンバーが彼との関係を絶やすことはなかった」
ラリーチーム・イベントコーディネーター、ケン・リース
「私が初めてリチャードと仕事をしたのは、90年代中盤。彼がAPRCに参戦していた時のことだ。まだ彼は駆け出しだったが、彼の仕事に対する打ち込みにはいつも感心させられていた。以来、2001年にリチャードが世界タイトルを獲得した時を含め、私は幸運にもSWRTで彼が勝利を収めたイベントにはすべて同行していた。トレーニングからドライビングの訓練まで全てに対して彼は究極なまでに傾倒していた。私の心の中では、世界チャンピオンの中でも彼が間違いなくNo.1のチャンピオンとなるだろう」