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スペイン特集: ルイス・モヤの、タラゴナの歩き方
Letter from SWRT
7 April 2006
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SUBARUワールドラリーチーム(SWRT)のスポーティングディレクター、ルイス・モヤと共にラリー・カタルニアのサービスエリアを散策するのは、とても興味深い経験だ。目的地にたどり着くまでに、全スペイン人関係者のおよそ半分とは会話を交わすことになるだろう。
スペインで最も有名なスポーツマンの1人として、そして世界で最も成功を収めたコ・ドライバーの1人として、モヤはスーパー有名人なのだ。
スペインの北西部・ガリシアのラ・コルナ出身のモヤは、現在、ラリー・カタルニアの本拠地であるサロウからわずか100kmのところにあるバルセロナに在住。モヤがラリーを始めたのは1983年のこと。それまでは大学で薬学を学んでいた。
「大学で6年間までコースを修了した挙げくに、中断すると決めたんだ。モータースポーツへの情熱は常に僕の中で燃え続けていた。自分の家から一番近いラリー・ポルトガルには、毎年友人と出かけていたよ。18歳の時には、ドライブで観戦に出かけて、お金がないからテントの中で寝たりしてね!1982年に友人の1人がラリーを始めて、その手伝いに出かけた。そして、これこそが自分のやりたいことだと気づいたわけなのさ」
1987年にプロとなったモヤは、その2年後、カルロス・サインツと組み、その後世界最強のクルーとなる礎を築く。
「当時、カルロスは既にスペインでは有名人だった。彼は、僕ともう1人のコ・ドライバーとの間で選択に悩んでいたが、英語が話せるという理由で僕を選んでくれた。夏になる度に僕を英国へ送ってくれた両親には、毎日のように感謝したね!」とモヤは振り返る。このクルーは切っても切れない名コンビとして、1990年、1992年の2回WRCタイトルを獲得したほか、シリーズ2位を4回、WRC24勝をマークするなどの大成功を収めた。
2003年、モヤは家族と過ごす時間を増やすために14年間の現役生活から引退。しかし、その後も多忙が衰えることはなかった。ラリーを始めた頃からラリー・カタルニアの主催者に協力をしてきたモヤは、2005シーズン、ラリーの本拠地が移動する際にはさらに深く関わるようになったのだ。
「ラリーを始めたばかりの1990年から、主催者への協力を始めていた。雇用されていたわけではなかったが、彼らも僕を助けてきてくれた友人だし、そのお返しがしたかった。このラリーは、以前はカタルニアの北部と南部のタラゴナの2カ所に分けて行っていたのだが、FIAが新たに2001年から設定したガイダンスでシングルサービスが推奨されるようになった。僕は主催者と共にベストな本拠地探しを行った結果、2005年の拠点にサロウが決まった。ステージへの交通は至便だし、本拠地は一カ所、それにメディアにとっても好立地だ。もちろん、ポルト・アベンチュラがお隣だってこともポイントだね!」
そう、ポルト・アベンチュラとは、絶叫コースターや丸太の船、垂直落下ライドなどで有名なテーマパークだ。2005年の10月末にはラリー観戦に訪れたファンがこぞってこの遊園地におしかけ、WRC関係者の大半と共に大いに盛り上がったのだ。まるで夢のような世界。その中には、SWRTのドライバー勢もあり(実は訪れたのは1回どころではなかったのだが)、ローラーコースターで誰が一番大きな叫び声を挙げるかを競いあったものだ。(誰もが自分ではないと言い張ったが、我々が見たところによれば、それはおそらくクリス・アトキンソンだったようだ)。モヤもこの遊園地が大好きで、一番のお気に入りの乗り物は、フラカン・コンドール。小さなイスに縛られて、100m空中に投げ出され、数秒後、下に落ちて来る。ボーイング747にでも乗っているかと思うくらい、高く投げ飛ばされる感覚がたまらないスリリングな乗り物だ。
タラゴナは、モヤにとって特に思い入れの深い場所。
「僕にとってのタラゴナは、スペインのトスカーニのような場所。路面も似ているんだ。人々はフレンドリーで、ワインも最高。実際、タラゴナのプリオラ・ワインは、この国の中でもベストワインの一つだ」
モヤとスペインについての話を始めたら、モヤはたちまち饒舌になる。スペインの街について何か質問をすれば、すぐに面白いネタや、今にでもスーツケースに荷物を詰めて飛び出したくなるような話を聞かせてくれる。実際、サロウも、年間に何千人もの観光客が休暇に訪れる場所。パックツアーの訪問地としてだけではなく、美しい郊外で、道にはブドウ畑が並んでいる。そして、ワシ。そう、タラゴナには、絶滅に瀕してわずか6対だけが生き残っているワシが住んでいるのだ。この生息地を保護するため、ワシの繁殖期間である1月から5月は、このエリアでラリーのテストを行うことが禁じられている。そして実際のラリー期間中も、この生息地周辺はヘリコプターの飛行が厳しくコントロールされているのだ。
2006年、ラリー・カタルニアは42回目の開催を迎える。サロウ周辺の山岳地にある舗装路を走るコースは、2005年、本拠地がジョレッド・デマールから移動した際に若干の変更を受けた。ほとんどのSSは2001年と2002年に、クエロール、エル・モンメルの2本のSSとして使用されているが、WRCイベントとしては10年間使われていない。そこで、モヤのこのステージでの経験が活かされてくる。
「いくつかのステージはラリーで走ったことがある。とてもいいSSだが、多くのコーナーがインカットできるので、コースに砂が出てくることもある。リピート走行の合間には主催者が路面を掃除するが、それでも非常に摩耗の激しいターマックだ。とてもいいラリーで、今年最も速度域の高い舗装イベント。まるでサーキットのようなラリーだよ」
このイベントのように、昔のコースを復活させるラリーは、新旧のドライビングスタイルを比較するには絶好の機会だ。モヤは、近年のドライバーをどう評価しているのだろうか。「僕にしてみれば、とにかく違うってことだけだね。ドライバーのクオリティについて、よくなったとか悪くなったとかとは言えない。僕たちは、後戻りはできないんだ。ただ、どのような進化を遂げているのかということだけ。人類の過程と同じ、それがラリーであるというだけだ。今でもたくさんのスタードライバーがいる。最もカリスマ的な存在として、ペター・ソルベルグや、ローブにグロンホルムがいる。
こうしたスターたちが、いずれキャリアを重ね、カルロスやユハ・カンクネンのような伝説的な存在となっていく。
彼らのどちらがいいとか悪いとかは言えない。ただ、違うんだ」
その旧知の友であるカルロスとは、今でも交流があるのだろうか。
「もちろん。電話でもよく話すし、ちょうどさっきも、パリ−ダカール・ラリーのことで彼と話していたばかりだ。僕らはつきあいが長いし、とてもいい関係を築いている」
そう語るモヤだが、しかしコ・ドライバーのシートに戻ることは、もうないと言う。
「僕の口がNoって言っているでしょう。もうやらないよ。コ・ドライバー生活はとても楽しかったし、たくさん成功も収めたけれど、他にもやりたいことが山ほどあるんだ」
SWRTでのモヤの役目は明らかにコ・ドライバーとは異なるものだが、これはこれでモヤは、満喫している。
「コ・ドライバーを訓練したり、FIAや主催者との中継役を務めている。僕は数カ国語を話すので、コミュニケーションには苦労しないんだ」
記録では、スペイン語、英語、フランス語、カタルニア語、イタリア語に堪能だというモヤ。だからこそ、モヤと一緒に歩くと誰とでも立ち話に花が咲いて、どこに行くにも時間がかかってしまうのである。
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