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スバルの巨星、逝く
ポッサム・ボーン、永眠

訃報
2003.4.30

過去20年以上にわたりスバルのモータースポーツ活動に最も貢献したラリードライバーのひとり、ポッサム・ボーン(ニュージーランド、享年47歳)が、4月30日午前0時58分(現地時間)、ニュージーランドの病院で亡くなった。

4月18日(金曜日)、出場予定であったニュージーランドのヒルクライムイベント「レース・トゥ・ザ・スカイ」のコース視察中に正面衝突の交通事故に遭い、頭部、胸部、両脚に複雑な負傷を負ったボーンは、病院で懸命の治療を受けていた。

世界中から寄せられた早期回復のメッセージ、激励とともに、日本のスバル関係者もボーンの復帰を望み祈っていたが、この訃報に接し、深い悲しみに暮れている。

「ポッサムは、スバルのモータースポーツを語るときには欠かせぬ人物でした。それほどスバルにとって、大きな貢献を果たしてくれたドライバーだったのです。先日もニュージーランドで会い、今年の計画について話し合ったばかりで、それを思い出すと深い悲しみで言葉がありません。これまでの彼の偉大な功績を讃え、彼のスバルに対する貢献に感謝すると共に、心よりご冥福を祈ります」
(富士重工業(株)常務執行役員、スバルテクニカインターナショナル(株)代表取締役社長桂田勝)

ポッサム・ボーン Possum Bourne
1956年4月13日
ニュージーランド北島プケコエ出身
本名:ピーター・ボーン
ニックネームの「ポッサム」とは、ニュージーランドに生息するフクロネズミ

1979年にラリー初出場を果たし、その後ニュージーランド国内戦で腕を磨きめきめきと頭角を現す。スバルとの出会いは、1983年に地元のスバルディーラーの門を叩いた時に始まった。レオーネをドライブして同年のニュージーランドラリーでWRC初出場を果たし、14位を獲得。84、85年のニュージーランドラリーで共に8位に入賞して注目を集め、翌86年から始まるスバルのサファリラリー挑戦の一員に加わる。
87年のニュージーランドラリーで3位に入って一躍脚光を浴び、スバル・ドライバーとして確固たる地位を築く。93年から始まるスバルのアジア・パシフィックラリー選手権(APRC)挑戦に際してワークスドライバーとしてレガシィを駆り、その期待に応えて93年のドライバーズ・チャンピオンを獲得。インプレッサを駆った94年もAPRCを連続して制した。94年の香港・北京ラリーでは、総合優勝。
94年のWRCオーストラリアラリー、95年のニージーランドとオーストラリアラリーでは、スバル・ワークスであるスバル・ワールドラリーチーム(SWRT)から参戦を果たすなど、スバルとの親密な関係は終始変らなかった。2000年には再びAPRCチャンピオンとなる。
また、ニュージーランド、オーストラリアの国内ラリー選手権でもスバル車で活躍しており、特にオーストラリア選手権では1996年から昨年までの7年連続でチャンピオンを獲得。前人未到の大記録として、オーストラリアのモータースポーツ史に名を刻んでいる。
2002年の9月に北海道で行われたAPRC「北海道ラリー」でもグループA仕様のインプレッサで総合優勝を果たしている。
本年はプロダクションカー世界ラリー選手権(PCWRC)にスバルプロダクションラリーチーム(SPRT)のドライバーとして参戦しており、新型インプレッサ・グループNで世界チャンピオンへの挑戦を行っていた。

スバルファンの皆様のご厚情に感謝し、故人の冥福を心からお祈り申し上げます。

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