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2019.11.12

P.ソルベルグ、11年ぶりにSUBARUを訪問

元SUBARU契約ラリードライバーのペター・ソルベルグがSUBARU本社およびSTIギャラリーを訪れました。

元SUBARU契約ラリードライバーで、2003年のFIA世界ラリー選手権ドライバーズチャンピオンとなったペター・ソルベルグが、11月7日(木)に来日。東京・恵比寿のSUBARU本社および同・三鷹のSTIギャラリーを訪れました。2000年8月からSUBARUワールドラリーチームに所属し、2008年のシーズン終了まで8年間在籍したソルベルグは、今回11年ぶりのSUBARU訪問となります。
来日の目的は、11月9日(土)に愛知県で開催された「WRXファンミーティング」に参加するためです。彼はまず、11月8日(金)午前中にSUBARU本社を訪ね、WRXミーティングの打ち合わせに参加しました。ショールームに展示されているSUBARU車を眺めながら、「この立派なショールームはいつできたのですか?」と質問。以前彼が来日したときは、まだ西新宿に本社ビルがあったので、その変わりように驚いている様子でした。その後、ソルベルグは、STIのスタッフらと共にSTIギャラリーに向かいました。通常、ギャラリーにはラリーカーなどが多数展示されていますが、この日は生憎翌日のイベントのために出払っており、そこには2016年のニュルブルクリンク24時間レースでSP3Tクラス優勝を果たしたWRX STIと、1993年のWRCラリーニュージーランドで初優勝を果たしたレガシィRS、1998年に特別仕様車として発売したインプレッサ22B STiバージョンの3台が展示されていました。自身が獲得したトロフィーやSTIに寄贈したヘルメットを手に取って、ソルベルグは感慨深そうな表情でした。
平岡泰雄STI社長の案内で、STIギャラリーを一巡したソルベルグは、「SUBARUのみんなと働いた日々は、とても楽しく良い思い出になっています。今は亡き桂田(勝)さん(元STI社長)らには大変お世話になりました」と語りました。エンジン開発部門のキャリアが長かった平岡社長の経歴を聞いたソルベルグは、「平岡さんらが作った水平対向EJ20エンジンは、とてもパワフルで信頼性が高いという印象です」と話し、エンジンパーツの展示台をじーっと眺めていました。また、STIの創設者久世隆一郎社長の写真の前で記念撮影。その後、当日オフィスにいたSTIスタッフ約50名を前に、「本当にSUBARUのみなさんと共に作った記憶は、特別のものがあります。私たちの成功は、世界のSUBARUファンに届き、いまでも彼らの大事な宝物となっていることでしょう」と挨拶。すると、STIスタッフからはバースデーケーキと隅田川花火をモチーフにしたスカジャンがプレゼントされ、ソルベルグは満面の笑みで受け取っていました。11月生まれのソルベルグは、18日で45歳の誕生日を迎えることから、このようなプレゼントが企画されました。
ソルベルグに、「8年間のSUBARU在籍の間、もっとも記憶に残るイベントはなんですか」という質問をぶつけると、「2002年のWRC最終戦ラリーGB(英国)で初優勝を挙げたときのことは、やはり忘れられない。その後、2003年のラリーGBでシリーズチャンピオンを手にしたときのことももちろん、生涯の思い出となっています。続く2004年は、夏までは不振に喘いでおり、特にドイツでは大きなクラッシュをしてしまいました。しかし、初開催のWRCラリージャパンから全てがうまく回り始めました。何万人も集まった帯広駅前やスペシャルステージでのSUBARUファンの応援が刺激になったことは間違い無く、あの年のラリージャパンで優勝してから3連勝を挙げることができました。だから2004年のラリージャパンも最も記憶に残っているイベントといえるでしょう」と語っています。さらに、「ラリーGBと言えば、今年の同ラリーにWRC2クラスのマシンで出場。優勝したんですよ」と付け加えてくれました。「このラリーをもって、私はドライバー生活を卒業します。今後については、色々とやりたいことがあるので、新たなアドベンチャーに挑戦するつもりです」と締めくくり、STIを後にしました。
かつて、「ハリウッド」と呼ばれ、ラリーのエンターテイメント性を最大限に引き出したペター・ソルベルグ。彼が最初に覚えた日本語は、「ゼンカイ(全開)」でした。あのエンターテイメント性とエネルギッシュなアクションは、いまだ変わらずでした。ドライバー卒業後の今後の活躍にも期待しましょう。
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