61号車リザーブドライバー 奥本隼士
4月12日、SUPER GT シリーズの2025年シーズンが開幕しました。ここから11月までの約8ヶ月は、レース毎にSUBARU/STIチームに関係する人物を一名ピックアップしてご紹介し、SUPER GTを競うチームの舞台裏をお見せします。第一回目は、本年もリザーブドライバーに登録された奥本隼士にSUBARUモータースポーツマガジン記者(MSM)が話を聞きました。
MSM 昨年初めてリザーブドライバーに登録されることになって何か自分の中で変化はありましたか。
奥本 「僕は22歳大学生の時にレースを始めたレイトスターターなんです。遅くとも中学生くらいからカートを始めて、ステップアップして行くというのが普通ですよね。でも僕はラジコンや陸上競技に夢中だったので、出遅れてしまいました。VITAでデビューののち、トヨタのスカラシップに合格してF4に乗せてもらうチャンスを得て、その後S耐や86/BRZレースを走らせる機会をいただきました。そしたら昨年のシーズン前に井口さんとお話しすることがあり、まずは突撃してみよう、ということでSUPER GT公式テストの岡山に押しかけてBRZ GT300に乗せていただきました。まさか本当にこの現場に入れるようになるとは思わなかったので。初めはもの凄く緊張しましたが、でもやっぱり実際に乗ってGTレースを走りたいっていう気持ちがあったので、とにかくがむしゃらにいろいろ勉強しました。ピットでチーム無線を聴くことができたので、セットアップだったり戦略だったり、いろんなことを経験することができました。今年もリザーブドライバーに登録していただいたので、去年学んだことを自分なりに咀嚼して、準備しておこうと考えています。SUBARUチームだけでなく、ライバルがどのように動き出そうとしているかも想像できるようになってきました。今年、突然何らかの事態で僕が乗ることになったとしても、チームとクルマの状態を理解してすぐにパフォーマンスが発揮できるように準備しておく必要があります。そのために普段からいろんなクルマをレンタルしてトレーニングしたり、シミュレーターで練習したりとか。もちろんフィジカルトレーニングもみっちりやります。ずっと陸上をやっていましたから」
MSM 外部からのあなたを見る視線もだいぶ変化しているのでは。
奥本 「去年は、公式テストの岡山と富士でドライコンディションとウェットを5〜6周ずつ乗せてもらい、鈴鹿でまた5〜6周。SUGOやオートポリスなど各コースで少しずつ乗らせていただきました。チームの皆さんもテストメニューがたくさんある中、計測一周とかアウトラップだけでも乗せてあげようっていうふうに思ってくださって。その経験をもとに帰ってからシミュレーターで確認するようなことを繰り返しました。また、他のGT300車両に乗せていただく機会もいただきました。ドライバーの片岡龍也さんのご好意で、先日は4号車メルセデスAMG GT3にも乗ることができました。そのご縁で6月のSUPER GT第3戦セパン大会では、4号車のドライバーとして出場させていただくことになっています。チームやSUBARU、ダンロップさん、先方のグッドスマイルさん、横浜タイヤさんも了承していただいた上で実現するので、思いっきり力を出してきたいと思います。また、その繋がりでスーパー耐久でもメルセデスAMG GT3に乗せていただいています。すでにご存知だと思いますが、GR86/BRZカップでは、井口さんのチームから3台目のBRZのドライバーに指名していただき、第2戦もてぎ戦から出場します。井口さんや久保(凜太郎)さんにも大変お世話になり、チャンスをいただいています」
MSM 速いクルマに乗るには優れた動体視力も必要条件ですよね。
奥本 「それについてはラジコンをやっていたので自信はあります。5歳の時に父からクリスマスプレゼントとして買ってもらったラジコンに夢中になり、その後競技ラジコンに発展しました。セットアップからチューニング、もちろんタイヤや特別な空力パーツなど色々勉強しました。だから今チームのエンジニアの方の話を聞いてもほとんど理解できます。というかラジコンと一緒です。そうやってのめり込むうちに、小学校五年の時に田宮模型の世界選手権で優勝しているんです。性格的には、一点集中ってやつだと思います。ラジコンもそうですが、陸上は400mハードルというハードなやつをやっていて、大学時代には日本インカレにリレーメンバーで登録してもらったりしました。こう見えても100m短距離では10秒で走れるんですよ。最盛期での話ですが。やっぱり、突き詰めたくなっちゃう性格なんだと思います。なので、レースでももう行くとこまで行きたいっていう気持ちが強いです。GT500やスーパーフォーミュラにも挑んでみたいです。その意識は変わらないですね。
MSM レースデビューしてからまだ4年目と聞きました。
奥本 「大学4年の時、あるきっかけで大阪の摂津市にあるレーシングチームヒーローズというショップのお世話になり、VITAで半年間レース活動をやらせていただくことになりました。半年で芽が出なければ辞める覚悟でしたが、最終的に日本一決定戦で予選ポール、セミファイナル優勝という結果でした。その後来年どうする、となった時、ではそのショップで働きながらレース活動したらどうだ、という話になりました。なので、腹を括って内定先を辞退してヒーローズに就職することにしました。ふだんはお客様のコーチングやシミュレーターのアドバイザー、中古車販売のお手伝いなどをしながら生活しています。今年26歳なので、じつはまだレースデビューして4年目です。その間に色々なご縁をいただいて憧れのチームのリザーブにご指名されるなんて、普通はあり得ないと思います。ですが、このチャンスをモノにできなかったら後々までずっと後悔することになります。なので、今年はチャンスを活かす年であり、同時に勝負の年にする覚悟です」

この若者は目を輝かせながら、滔々と己自身を語ってくれました。彼の素質について小澤総監督に尋ねると、「奥本からサードドライバーになれる可能性はありますか、と聞かれたので、もちろん可能性はあるよと答えました。ただし、うちの井口と山内のパフォーマンスは相当ハイレベルなので、それを凌駕する実力が発揮できないとね、と付け加えました」、との返答が返って来ました。これを聞いた奥本の闘志は、これまでにも増して燃え上がっていることだと想像できます。奥本隼士、楽しみな若者です。