SUBARU/STI NBRチーム技術監督 渋谷直樹
4時間にも及ぶ大改修を受け、完走を果たした「SUBARU WRX NBR CHALLENGE 2025」が、7月中旬にチームのヘッドクォーターのある東京・三鷹に戻ってきました。SUBARU MOTORSPORT MAGAZINE記者(MSM)は、このタイミングで三鷹オフィスに立ち寄った技術監督の渋谷直樹に話を聞きました。

「あのアクシデントによるダメージから甦ったのは、奇跡のようですね」、とMSM記者が切り出すと、渋谷は、「実は、ティムからピットに戻れる、という発言を無線で聞いていましたし、テレメトリーシステムから送られてくるデータを見る限り、左後ろのタイヤがバーストしていますが修復できるだろうとは考えていました」、と語っています。マシンが走行中、渋谷は常にタブレットPCを見つめています。これは車載データコレクションシステムからインターネット回線を通じて、リアルタイムに送られる車両の走行状態のデータで、タブレットPCのモニターに映し出されます。そこには、タイヤ空気圧やタイヤ表面温度、エンジンの稼働状態、ステアリングやサスペンションが正常であるか否か、ブレーキフルードの液圧やローターの温度、そればかりか車載通信システム(CAN)の状態や電源制御なども表示されるので、アクシデントののち左リアタイヤがパンクかバーストしていること、左側ヘッドライトが点灯していないこと、ラジエターやオイルクーラーの破損による冷却水/潤滑油のリークがないこと、ステアリングやサスペンションは正常であることを把握していたと言います。テレメトリーシステム(遠隔データモニタリング装置)は、ニュルでは公式に認められています。これによって走行車両が、どんな状態で走っているかが把握でき、万が一のアクシデントの際も素早く対処方法を準備することができます。

渋谷は、「当たりどころが良かったのも、運がありました。アクシデントの場所は、アーデナウ立体交差の手前の高速下りコーナーです。時速150kmでぶつかっていますが、スピンして反対側のガードレールに当った角度が良かったのでしょうね」、と続けました。ピットボックスに戻ったマシンは、左側のボディワークがダメージを負っていました。特にフロントは、かなりひしゃげているのが明らかでした。渋谷は、「左側のヘッドライトとそのアッパーフレーム、ラジエターパネル、サイドフレームなどのクラッシャブルゾーン(前突時に自ら壊れてショックを吸収する構造)にダメージが集中しており、それより後方のサスペンション取付部やクロスメンバーなどは無傷でした。ラジエターは曲がっていましたが、水漏れはなし。左リアのタイヤはバーストしてリムから外れていましたが、周囲のボディパネルを大きく壊していないので、人力による板金作業でなんとか復旧できるという状態でした。また、AWDだったので、三輪で戻って来られたのも大きいです」、と言います。

「辰己英治元総監督は、シャシーは前後方向の剛性が重要であり、キャビンは乗員が保護されていれば良い、と常々話していましたが、辰己さんが拘ったシャシー剛性の理論は今回のアクシデントでどのように作用していたのでしょうか」、と渋谷にぶつけてみました。「2023年車から現行シャシーとなっていますが、SUBARUの新世代SGPプラットフォームをベースに前後方向のフレーム補剛を行なっています。さらに変曲点(曲げる力が弱い点)を作らず一点に応力集中させない構造となっていて、それが今回のアクシデントでも車体の重要部分を守ったと言えるでしょう」、と渋谷は話します。「辰己さんの考えは、経験とその実証によって導かれていて、それを定量化するのは非常に難しいのですが、引き継いでいかなければならないと思っています。以前は車両全体の電子制御システムやセンサリングデバイスの開発・管理をひとりでコツコツやってきて、それが性分にもあっていたのですが、今度は車体全体を俯瞰して管理し、競争力を考えていく必要があります。例えば、スポーツABSの応用範囲拡大や空力性能のブラッシュアップ、ターボレスポンスの向上のための電動ウェストゲート制御など、まだまだ手を入れたい箇所はたくさんあります。応用力があって、懐の深いクルマにしていきたいです」、と渋谷。

「今年のクルマの進化点は、リアウィングのリファインとアンダーパネルの整流効果によるコーナリング中の特にリアの安定性とコントロール性の良さが挙げられます。また、レース中はほぼドライコンディションであり、暑い中でミディアムコンパウンドのタイヤがベストマッチだったことが、ドライバーの皆さんには好評でした」、とつけ加えています。ドライバーの佐々木孝太は、アクシデント後に「クルマはパーフェクトに直っています。長い時間の修復作業に感謝します」と、無線で伝えていました。また、ティム・シュリックは、「今年のクルマは見違えるように進化していて、本当に乗りやすい。良いクルマに育ててくれてありがとう」、と語っていました。また一歩「誰もが認める良いクルマ、誰が乗っても速いクルマ」に近づいたのではないでしょうか。

ちょうどこの日は、完全補修のためSTIギャラリーからNBR車を搬出するタイミングとあって、今年のニュルブルクリンク24時間レースにディーラーメカニックとして参加していた富士スバルの福山聡志、山梨スバルの橋本祐樹、東京スバルの三上嵩、大阪スバルの安井茂雅が集合。ガムテープだらけのNBRマシンと共に名残惜しげに記念撮影していました。皆さんの奮闘でNBR 2025は見事に蘇りました。この記録は長く残ることでしょう。そして、皆さんの体験と記憶も色褪せることなく、皆さんの心の中に残り続けることでしょう。