STI SUPER GT総監督 小澤正弘
本年のSUPER GTシーズンは最終戦もてぎで幕を下ろしました。困難の多いシーズンとなってしまいましたが、最終戦では予選ポールポジション、決勝レースでもトップに迫る2位表彰台で終えることができ、このレースをもって引退することが決まっているEJ20型2.0L水平対向ターボエンジンの送り出しに相応しい内容となりました。
今シーズンのこのコラムの締めくくりは、このEJ20エンジンと長く付き合ってきたSTIの小澤総監督に、これまでの思いでなどについて話を伺いまとめてみました。
MSM 小澤さんとEJ20エンジンとの関わりヒストリーを教えていただけますか。
小澤 「以前は某自動車メーカーで量産エンジンの先行開発を担当しており、直4(直列4気筒)エンジンからV6もやりましたね。2003年にSTIに来てから初めて水平対向エンジンに接することになりました。最初からWRCに使うEJ20エンジンの性能開発を担当することになったのですが、ポート形状とかエキゾーストマニホールドのシミュレーションとか燃焼解析など色々チャレンジしました。ターボチャージャーでは、コンプレッサーの形状やハウジングの検討とか、本当に様々やらせてもらったので、かなり勉強になりましたね。EJ20に育ててもらったと言ったら良いでしょうか」
MSM WRCでは提携していたプロドライブのエンジニアから小澤は攻めるエンジニアと言われていましたね。
小澤 「いやいや、そんなことはないです。当たり前のことを指摘したら、それが正しかったということが何度かあっただけです。2005年くらいのことでしたか、ポートの形状など量産エンジンから変更してはいけないという大きなレギュレーション変更があったのですが、ある時プロドライブからラリー現場に届いたエンジンが不調で、ペター(ソルベルグ)がこんなんじゃ走れないって騒いでいたんです。データを見たら、初期のセッティングが適切でないことがわかり、点火タイミングについて大幅に進角した値を私が断言したんです。彼らは疑心暗鬼だったようですが、マッピングを合わせて走り出したら、当然ながらちゃんと走る、それで「小澤は攻める」と言われたんだと思いますが、全然そんなことはない、セオリー通りに進言したにすぎないんですが、いずれにしてもその日から私の信頼度は爆上がりしたみたいです(笑)」
MSM そのWRCで最も印象に残っている出来事は何でしょうか。
小澤 「なんといっても衝撃的だったのは2005年のラリージャパンですね。ペターは初日から好調でリードを拡大しながら最終日を迎えたのですが、優勝間違いなしという最終ステージ直前にクラッシュしてリタイヤ。あれは、私のモータースポーツ経験の中で最も衝撃的な出来事でした。もっとも今年のSUPER GT第2戦富士でもトップを快走していたBRZでしたが、最終ラップにエンジンが壊れてリタイヤするショッキングなことがありました。その衝撃も大きかったですね。オイルポンプ周りのトラブルが原因でしたが、レースはチェッカーを受けるまで何が起きるかわからない、というのを痛感しました」
MSM しかし、そのWRC活動は2008年末に突然終了することになりました。
小澤 「その通りです。私も拍子抜けして他の仕事を探そうかとも思ったのですが、辰己さんが2009年はSTI独自でニュルブルクリンク24時間に挑戦すると言い出して会社を説得し、私にも声がかかりました。ニュルは量産車ベースなので、エンジンはあまり大胆なことができない。一方車体込みで開発できたので、それはそれでやり甲斐がありました。辰己さんの経験に基づいたアイディアは的をついていて、勉強になりました。車体剛性の考え方からSTI独自のドロースティフナーという発想まで、辰己さんと一緒になって色々トライしました。そういった車両開発がのちのGTカーの開発に生きていることは間違いないですね。エンジンについては、リストリクター径が小さく予算的にもできることは限られていました。なのでシミュレーションした結果を一発で形にしなければならない。量産のアルミインテイクマニホールドを切ってアルミ片を溶接して手作りチャンバーを成形したり。それをベンチにかけたらやっぱり出力は計算通りでした。溶接も自分でやりました。意外に上手いんですよ」
MSM SUPER GTで本格的にSTIが参入したのは2009年でしたか。
小澤 「そうです。カーボンモノコックのレガシィB4でしたね。最初はやはり予算がないので、デビュー前に私と若手エンジニアの二人で自作ハーネスを引くことになりました。今では御法度となっているほぼ徹夜作業です。専門家に任せた方が確実に良いものができるのですが、とにかく節約して自分らでやろうということです。電源ボックスから車体全体に張り巡らす配線を全部手作りしました。初期はトラブルも少なくなかったですが、2010年の鈴鹿ではようやく1勝を上げることができました。これもクルマ全体を理解する上で勉強になったかな。SUPER GTで使っているエンジンは原則として2005年のホモロゲーションを取得しているWRC用エンジンがベースでGTに車載するためにドライサンプ化しています。それでも吸排気は専用設計になっており、出力はWRC時代よりは大きく改善しています。しかし、出力を絞り出しているので燃費的には他の大排気量GT3などに比べると厳しいのは明らかです」
MSM その後一度退職されている時期がありましたね。
小澤 「2015年に家族の事情で一度STIを退職し、国交省の外郭団体である交通安全環境研究所に就職しました。そこでは排ガスに関する法律を策定するための研究や試験をやったりしていました。その後AVLというエンジニアリング会社でエミッションがらみの分析計開発業務を担当しました。そもそもずっとエンジンの開発関係を仕事としてやっているんです。大学も理工学部でエンジン研究室にいました。バイク好きだったので、子供っぽい話ですが、バリバリ伝説という漫画にあこがれて世界を転戦するモトGPのエンジニアになりたいと考えていたのですが、STIに入ってWRCで数年間世界転戦したので、夢は叶ったのかな。そうそう、その後家族の事情が解消された頃に、当時チームの総監督をやっていた渋谷真さんから、戻ってこないかと声をかけられて2020年にSTIに戻ってきました」

1995年のマニュファクチャラーズチャンピオンをはじめとする数々のWRC/プロダクションカーWRCタイトル獲得、2011年・12年・15年・16年・18年・19年のニュルクラス優勝、そして2021年のGT300チャンピオン獲得など、数々の栄光をもたらしたEJ20エンジン。その最終レースとなった今年のSUPER GT最終戦もてぎは、申し分にないレース内容でシーズンを終えることができました。小澤総監督は、「今年は、シャシーを新しくしましたが、チームもドライバーもみんながしっかりやっているのに結果に繋がらないレースばかりでした。最後に力を尽くしてやったことが結果に繋がったので良かったです。1年間、応援をありがとうございました。来年は新しいエンジンで戻ってきますので、引き続き応援をお願いします」、と語っています。
EJ20エンジンと共に刺激的な日々を駆け抜けてきた小澤総監督のキャリアとSUBARU/STIのモータースポーツヒストリーに、いよいよ新しい章が描き加わることになります。