NURBURGRING 24H RACE

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2024.06.26

辰己英治総監督のNBRレビュー

濃霧のため史上最短となった2024年のニュルブルクリンク24時間レースは、SUBARU/STIチームにとって明らかな区切りとなりました。長くチームを率いてきた辰己英治総監督が、このレースをもって引退すると宣言しているからです。SUBARUモータースポーツマガジン編集部(以後MSM)では、あらためて辰己総監督にお会いし、これまでのNBR挑戦ヒストリーを振り返っていただきました。
MSM 辰己さん、ご自身のNBR挑戦ヒストリーを振り返っていただけますか。
辰己 「そもそも、なぜNBR 24時間を始めることになったかをお話ししましょう。私は富士重工(現SUBARU)を定年退職し、2006年にSTIの車両実験部長として赴任しました。いかにSTI独自のコンプリートカーを作り、いかに人材を育成するかが私に求められていることと認識していたのですが、その後、当時STI社長だった桂田(勝=故人)さんに声をかけられ、勝てなくなっていたWRCの現場やプロドライブに寄らせてもらい、色々と考えるところはありました。とはいえ、WRCの主力車種は小型化する傾向にあり、簡単に巻き返せる状況ではなく、やがて2008年をもってWRC活動の終了をSUBARU本社は決断しました。その頃にはSTIコンプリートカーはある程度認知が広がっていたのですが、私はWRCをやっているからファンはSTIを認めてくれているものだと考えていました。つまり、WRC活動がなくなることで、やがてファンの心は離れていくという危機感を強く感じたのです。社内会議でそれを主張し、SUBARU本体の力を借りずSTI独自プログラムとしてNBRを目指すことになったのです」
MSM  辰己さんのクルマ作りの考え方の根幹がNBRプログラムの中にあるわけですね
辰己 「実は2008年にSUBARU自身がニュル24時間に参戦しており、私は当初の計画では関係していなかったのですが、直前になって行ってこい、ということになりました。国内でツーリングカーレースに出場していたチームに委託しての参戦だったのですが、急造チーム故に色々とトラブルが発生し、結果は満足いくものではありませんでした。その後、さきほどお話しした顛末があり、翌年からSTI独自で参戦することが決まったのですが、予算はなく、開発期間もない。なので、2009年は前年のクルマを譲り受け、そのクルマに最小限の改造を加えて出場しています。チームの主体はSTIの社員です。私を含めて全員がレース素人です。それでも将来のSTIコンプリートカーに入れたいと思っている考え方を試す良い機会となったことは間違いありません。量産車両は、全世界の公道で走ることが前提であり、また乗員保護のため衝突安全性などを優先した設計となっています。ところがレースカーにはそこまでの配慮は不要です。ロールケージでしっかりキャビンは守られているので、堅牢すぎるモノコック構造は過剰です。つまり、レースではシャシーをしなやかに動かせる運動性能重視のクルマに仕立てることができます。実はそこが着眼点でして、のちに世に出すことになるフレキシブルタワーバーやドロースティフナーなどの考え方が、SUBARU車のハンドリングにどのように作用するかを試す機会が作れるのです。だからレース屋さんはベース車両を丸裸にしてからスポット溶接などで補強することから作業を始めますが、STIはまるで逆です。元々作り込まれている補剛要素を削り取ることから始めます」

MSM  その辰己さんの考えが実証されたのが初クラス優勝を果たした2011年ということになるのですね
辰己 「その通りです。だから一番の記憶となっているのは2011年ですね。その頃はまだ2.0Lターボ車のファクトリーカーが多数出場していたので、それらの中で優勝できたのは痛快でしたね。やってきたことが間違いなかった証明となりました。その頃も、今でもそうですが、STIのNBRカーはいわゆるレースカーとは造る感覚が全く違うのです。だから、半年以上の時間をかけて富士やSUGOなどで事前テストを実施するのですが、ドライバーはロールが大きすぎるとか、アンダー(ステア)が強すぎて攻めきれないとか言います。しかし、ニュルを走らせたら誰もそんなことをいうドライバーはいません。私たちはサーキットで速いクルマを作っているのではなく、ニュルで快適に走れるクルマを作っているのです。それがSTIコンプリートカーの思想そのものなのです。
その延長で2019年NBRではEJ20エンジン搭載のVAシャシーで9分01秒の最速タイムが記録できたし、145周を走り抜くことができました。あれはVAシャシーの最高傑作でしたね。2022年は翌年からのVBシャシーに入れるアイディアを入れてVAの集大成にしようと考えたのですが、思わぬところで設計ミスを犯しており、ドライバーの(佐々木)孝太には怖い思いをさせてしまったし、ディーラーメカニックの皆さんにも申し訳ないことをしました。まだまだ私自身の考え抜く力が不足していたと大いに反省しました」
MSM  今年のNBRレースを振り返っていただけますか
辰己 「去年のクルマはまだデビューカーだったため熟成が不足しており、FA24エンジンにも不安があって全開で走らせられませんでした。スタビブラケットやエキゾーストパイプの問題も残りました。しかし、その後国内でしっかり走り込みを重ねたので、今年はほぼ不安要素なしで臨むことができました。ルーキーの(久保)凜太郎も受け入れることになりましたので、彼の様子も4月のQFレースを含めてよく観察できました。その中で、ティム(シュリック)が、今年のクルマはパーフェクトだ、と断言したのです。しかし、凛太郎に聞くと、”なんだかうまく表現できないが、タイヤが倒れるような感覚がある”と言います。
そこが気になったので、彼を呼んで話をしました。ティムは何年も一緒にニュルをやっているが、基本はジャーナリストでありレーシングドライバーではない。当初はカルロに対して10秒くらい遅かったティムが今は凜太郎より数秒速いラップタイムで走っている。その彼が完璧だと言っているので、プロドライバーである君が何かを変える必要があるのではないか、と。凜太郎はだいぶ考えたんでしょうね。その後、ティムとの差はどんどん縮まって行きました。誰でも速く走れるクルマ、つまり運転がうまくなるクルマとはそういうことです。また、今年気付いたことがひとつあります。うちのクルマは、過去14回のNBR挑戦で一度も単独スピンをしたことがないのです。ニュルでは、路面のカント変化やサーフェスの摩擦係数が異なる場所に差し掛かると突然スピンするクルマをよく見ます。昨年は名門チームが最終コーナー手前でスピンののちクラッシュし、リタイヤしています。SUBARUのNBR車は、突発事項に対応できるクルマであること、それこそが量産技術の延長線上にある安全なクルマです。その点は自慢できると思います。今年は雨で満足なタイムアタックができなかったこと、霧で周回数が最小となってしまったことはありましたが、速さにも耐久性にも自信があったので、確かに24時間をフルに走らせてみたかったとは思います。それでも、ファンの皆さんに約束したクラス優勝は果たせたし、悔やむことも思い残すこともありません」
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